"アメリカ人たちにとって、「ミッドウェイ」とは、追い詰められ、危機に瀕し、圧倒的な劣勢に追い込まれたのに勝利した「奇跡の戦い」なのす。わっしがスミソニアン航空宇宙博物館に初めて行ったのは5歳くらいのと..."



アメリカ人たちにとって、「ミッドウェイ」とは、追い詰められ、危機に瀕し、圧倒的な劣勢に追い込まれたのに勝利した「奇跡の戦い」なのす。



わっしがスミソニアン航空宇宙博物館に初めて行ったのは5歳くらいのときであって、その頃にはもう「ミッドウェイの部屋」があった。いまは多分Sea-Air Operations という二階の角の部屋がそうだと思います。



アメリカのガキどもは、そこで艦隊の動きを説明するボードを見ながら音声ガイドが説明するアメリカ海軍の勝利に血湧き肉躍らせる。



熱狂する。



日本では、「暗号が解読されていたこと」と「爆装転換中に急降下爆撃にあったこと」



をよく敗因にあげますが、アメリカ側の本を読むとちょっとニュアンスが違う。



情報部の活躍によって日本軍の意図を精確に読み取ったチェスター・W・ニミッツは



山本五十六の意図が自己の機動部隊壊滅にあることを知ります。



実際、肝腎なことには口数が少ない、という悪い癖を持っていた山本五十六(部下だった大井参謀は「説明せんとわからんようなバカには重大なことほど説明してもわからん」と言っていたのを聞いたことがあるそうです)のせいで、軍令部及び陸軍は「東方哨戒線の東への伸展」という誤った作戦目的への認識をもっていたわけですが、ニミッツのほうは、あっさり山本の意図を理解した。



陣容から編成まで知っておった。



「敵を知り己を知れば百戦危うからず」(知彼知己者百戦不殆)と言う孫武の有名な言葉はもちろん当時のアメリカの海軍士官も士官学校で学習してます(ナポレオンですら「孫子」を座右の書にしていたのだから当たり前ですが)。



しかし、この場合、「敵を知り己を知」ったニミッツが初めに考えたことは「絶対に負ける」という確信でした。



勝てるわけがない。



戦力は比較するのもバカバカしいくらい日本が優勢であって、航空機の数に限らず操縦士の技量はアマチュアとプロの違いがある上に、たとえば艦攻でいうと、それがイギリス海軍が世界に誇るソードフィッシュ



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のような戦艦ビスマルクと速度競争したら負けるのではないか、という噂があったくらいのシブイ艦上攻撃機ならともかく、もののシブイ味、というものに興味がなかった日本海軍は九七式艦上攻撃機



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という全然かわいげがないマジな高速艦上攻撃機をもっておった。



おまけに魚雷ひとつを較べても艦舷に当たっても「コツン」という音を立てるだけで相手に深甚な心理的恐怖心を与えることを最終目的としていたかに見える、「不発魚雷」というこれもかなりシブイ兵器であるアメリカの魚雷に較べて、逆に航跡が見えず恐怖心は与えない代わりに大爆発を起こして艦にぽっこり大穴を空けることを真珠湾で実証済みの日本海軍の酸素魚雷とでは比較が難しい。



このころまだ垂直旋回の頂上で失速してはゼロ戦の餌食になっていたF4F



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もあわせて、どうやったって負けるしかない立場に立ったことをニミッツは再確認しただけでした。おまけに、こういう事態のために協調性のなさに目をつぶって任命した艦隊指揮官「ブル・ハルゼー」は皮膚病で入院してしまった。



ニミッツはスプルアンスを呼んで言います。



「南雲の空母が発見できない場合は犠牲が出てもかまわんから全軍突撃して大和に乗っている山本を殺せ」



ニミッツは役人根性のない日本海軍士官は山本だけだ、と思っていたかのようである。



(他には小沢治三郎と山口多聞を買っていたようです)



このとき、ニミッツはワンサイドゲームの零敗だけを避けたかった。



しかし、ニミッツはやがて、こんなふうに考え出したように見えるのです。



思考の焦点にはふたつの事実がある。



「日本海軍はアリューシャン攻略とミッドウェイ攻略というふたつの作戦目的を立てている」



「大和武蔵を中心とした艦隊主力が機動部隊の500キロ後方をついてくる」



日本の本にはよくアリューシャン作戦(AO作戦)はミッドウェイ作戦(AF作戦)の「陽動作戦」であった、と書いてありますが、AO作戦は陽動作戦の体をなしていません。これに敵がつられて出てくる、というのは相当バカな参謀でも考えるはずがないことです。では、AO作戦はなんのためにあるか。



大和武蔵を中心とした三十隻を越える(!)「主力部隊」は陣容こそものものしいものの、機動部隊に較べると鈍足な亀足部隊で後で実際にも実証されてしまうように前方の機動部隊が戦闘を始めても戦闘に加われるわけがない。



では「主力部隊はなんのために出てくるのか」



ニミッツは「ははーん」と思います。また日本人のビョーキが出たな。



アメリカの海軍士官が学校で教わる日本人の「ビョーキ」とは「形式主義・官僚主義」です。実質を危険に陥れてすら官僚的な計算を立てたがる。



なにしろ開戦直前になって、しかも年功序列にしたがった「平時配転」で、それまでたまたま適材適所に近いかたちになっていた人事をわざわざ破壊するくらい日本の海軍には「お役所仕事重視」の顔があった。



よく知られている通り、開戦時の航空艦隊長官はもともとから「飛行機なんか役に立つけい、ばかばかしい」と言っていた「水雷屋」南雲忠一です。



ちょっと理解不能な人事である。



ニミッツが理解したようにAO作戦は万が一機動部隊を補足できず上陸も失敗した場合、ミッドウェイ作戦に加わった将官たちが左遷されないための配慮でした。



うっそぉー、な感じがしますが、何人もの旧海軍将校が証言してます。



主力部隊が出てくるのは、陸軍にも華をもたせるために海軍が提案した「ミッドウェイ上陸」作戦に絡めて、「鉄砲屋」、大艦巨砲組の将官にも華をもたせるためであったようにしか考えられません。



山本五十六は「柱島艦隊」(航空部隊の将兵はただ柱島に座って遊んでいる戦艦群をそう言って蔑称していた)の出撃について問われると



「情だよ」



と答えたそうである。



ここに至ってニミッツは役人どもには思いもつかぬ「バカヤロウ、ガッツだ」戦法でいけば案外勝てるかも知れぬ、と考え出します。



リスクの許容値を高いところにもってゆけばよいのではないか。



実際、ミッドウェイ海戦でのアメリカ人たちは気が違った人間の集団のような戦いぶりを見せる。



闇雲に戦ってドン・キホーテのようである。



結果は、いまだにアメリカ人のガキどもが血湧き肉躍らせるアメリカ側の「奇跡の大勝利」となり、 日本軍はこれ以降、攻勢がとれなくなってしまう。



ニミッツが99.9%の大敗を覚悟しながら、奇跡の勝利をもぎとることが出来たのは、彼の考え通り日本の官僚主義ゆえであることは日本側の戦後の処理にも感ぜられます。



海軍は敗北の実体を驚くべきことに陸軍や東條英機首相にすら報告しなかった。



ただでさえ配分が少なすぎる、と感じていた予算配分を考えてのことです。



生き残った将兵は本土に返さず、これらのひとたちは「戦死」するまで戦地をたらい回しにされました。



こうした経緯を知っていた源田実参謀は、都合が悪いことはすべて口をつぐんで戦後参議院議員になった。好戦的で大艦巨砲主義の海軍首脳と、それに抗して戦う源田たち少壮参謀、というのは、彼ら自身の証言によっているのであって、性格のわるいわっしは調べてゆくうちに思わず、「死人に口なし」という日本語の表現を思い出したことをおぼえています。







- ミッドウェイ海戦__官僚主義の敗北 | ガメ・オベールの日本語練習帳v_大庭亀夫の休日 (via odakin)

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