"ところがその翌日、米国がソウルに進駐軍を送り込んできた。その米軍が何をしたかというと、実はここがたいへんおもしろいのですが、なんとソウルの町に掲げられた統一朝鮮の象徴である太極旗を、すべて降ろさせたので..."

“ところがその翌日、米国がソウルに進駐軍を送り込んできた。

その米軍が何をしたかというと、実はここがたいへんおもしろいのですが、なんとソウルの町に掲げられた統一朝鮮の象徴である太極旗を、すべて降ろさせたのです。

で、何をしたかというと、そこに日の丸を掲揚させたのです。



つまり米国はこの時点で、朝鮮人による朝鮮半島の独立を認めなかったわけです。

あえて日の丸を掲げさせることで、朝鮮半島を「日本の一部」として取り扱い、そうすることで進駐を正当化したわけです。

つまり、そこは「日本だ」というわけです。



戦勝国である米国が朝鮮半島に進駐するためには、そこが日本の一部でなければならなかったわけです。

もしそこが自主独立した朝鮮共和国なら、米軍の進駐は法的根拠を失なう。



で、さらにその2日後の9月9日には、マッカーサーが朝鮮半島の占領統治を布告します。

そしてこの段階で再び日の丸が降ろされ、こんどは星条旗を掲げたわけです。



つまり米国は、「朝鮮半島の日本からの独立」を認めず、米軍の占領地域にしたわけです。

それからまる3年、平壌以南の朝鮮半島は米軍の占領統治下に置かれました。



一方、統一朝鮮国設立の立役者である呂運亨は、荒縄、棍棒、拳銃、手榴弾などによって、二年間でなんと12回ものテロに遭いますが、それでも統一朝鮮の構築のために、左派にも右派にも属せず、祖国のために戦い続けていました。

ところが、昭和22(1947)年7月19日、ついに弱冠19歳の韓智根(かんちこん)の銃弾に倒れ、そのまま帰らぬ人となります。



この暗殺は、当時は極右団体の仕業と発表されたのですが、最近ではソ連の息のかかった教唆主義者朴憲永(ぱくけんえい)一派による犯行説が有力です。

ちなみに朴憲永は、その後北朝鮮内で金日成と対立し、アメリカ帝国主義のスパイとレッテルを貼られて投獄され、いまでは考えられないような酷い拷問の末、昭和30(1955)年12月15日に、満56歳で北朝鮮で死刑になっています。



さて、混乱を極めた朝鮮半島が、米国の占領下から独立したのは、終戦から3年経った昭和23(1948)年8月13日のことです。



日本よりも早い段階で独立が承認されたのは、北の金日成が、ソ連のバックアップを受けて北朝鮮で統一朝鮮の建国を図るという動きが顕著になり、その北の動きを牽制するために、米国は急遽、李承晩を大統領に仕立てて、統一朝鮮としての大韓民国の建国を宣言させたのです。



ですから、大韓民国の統治は、日本から米国、そして独立という順を踏んでいるわけですから、大韓民国の独立は、米国の占領からの独立です。

ところが李承晩は、これを「日本からの独立」とすり替えました。

さらに独立の日も、8月13日ではなく、独立祝賀会が行われた8月15日に、後に訂正しています。



そうまでして、米国の占領からの独立ではなく、日本からの独立を装ったわけです。



けれど、よくよく史実をみれば、日本は終戦と同時に、朝鮮半島内に独立のための準備機構を立ち上げ、朝鮮総督府の建物に太極旗を掲げることさえも許可した上で、自主的に朝鮮半島から引き揚げてきているのです。

誰がどうみても、韓国は「日本から独立」したことにはなりません。

つまり、韓国の歴史教科書には申し訳ないけれど、韓国は建国の歴史からして、嘘を書いているわけです。”



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ねずさんの ひとりごと 韓国建国の詐術と未来 (via laft)







via Tumblr http://ift.tt/1mYOUIq July 19, 2014 at 09:44AM

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